早稲田大学の歴史4早稲田大学の発展に寄与早稲田の四尊早稲田の創立・経営に参画し、発展させた四人のことを指します。高田早苗は初代学長・三代目総長を務め、大学への昇格・理工科の開設などに尽力しました。天野為之は商科開設の時の科長、のち二代目学長。坪内逍遙は現在の文学部の基礎をつくりました。市島謙吉は大学の経済的独立の実現を図り、図書館の拡充にも貢献しました。所蔵:早稲田大学歴史館、早稲田大学演劇博物館1881 ●明治14年の政変/大隈重信、野に下る。1882 ●東京専門学校開校。1884 ●初の海外留学生受入。1886 ●講義録発行。校外生制度(通信教育)発足。1890 ●文学科設置。1899 ●清国留学生入学。1900 ●初の海外留学生2名をドイツに派遣。1902 ●早稲田大学と改称。大学部と専門部を新設し、大学部に政治経済学科、法学科、文学科を設置。図書館開館。1903 ●高等師範部設置。野球早慶戦開始。1904 ●専門学校令による大学となる。大学部に商科設置。1905 ●野球部第1回アメリカ遠征。清国留学生部設置。1907 ●大隈重信総長、高田早苗学長が就任。校歌制定。創立25周年記念式典。1908 ●理工科(高等予科)の授業を開始。1913 ●教旨、校旗、式服式帽制定。創立30周年記念式典。1920 ●大学令による大学となり、政治経済学部、法学部、文学部、商学部、理工学部と大学院設置。早稲田高等学院設置。1921 ●聴講生として初の女性12名が入学。1922 ●大隈重信死去(国民葬)。早慶ラグビー定期戦開始。アインシュタイン氏来校。1925 ●図書館(現・2号館)竣工。1927 ●大隈講堂落成。創立45周年記念祝典。1928 ●演劇博物館開館。学生の織田幹雄が日本最初のオリンピック金メダリストに。1932 ●創立50周年記念祝典。大隈重信銅像、高田早苗銅像除幕式。1939 ●女性4名が初めて学部へ入学。1945 ●空襲により校舎の約3分の1を焼失。終戦の翌月授業再開。1949 ●新制早稲田大学11学部(第一・第二政治経済学部、第一・第二法学部、第一・第二文学部、教育学部、第一・第二商学部、第一・第二理工学部)設置。1951 ●新制早稲田大学大学院6研究科(修士課程)設置。1955 ●外国学生特別選考制度発足。高田早苗坪内逍遙天野為之市島謙吉大隈重信が東京専門学校を創立10月21日に東京専門学校創設開校式が挙行され、校長・大隈英麿が「開校の詞」を朗読、小野梓が演説を行って、「学問の独立」の精神を宣言しました。政治経済学科、法律学科、理学科、英学科を設置し、第1期生80名が入学しました。物理学者アインシュタイン氏来校1922(大正11)年11月29日、来日中のアインシュタイン博士が来校して、かつてベルリン大学で学んだ塩沢昌貞学長と会談。中央校庭での歓迎式典では、学生や教職員1万余名が熱烈な拍手で博士夫妻を迎え、最後は校歌を合唱して送りました。野球早慶戦開始ケンブリッジ対オックスフォードのボートレース、ハーバード対イエールのフットボールとともに、世界三大学生競技と称される早慶戦。1903(明治36)年にまで■る伝統、母校の名誉のために闘う両校ナインと応援の華やかさが、その魅力です。日本最初の金メダリストアムステルダム・オリンピックで、早稲田大学競走部の織田幹雄が、三段跳びで日本人初の金メダルを獲得しました。同競走部はオリンピックの帰りに、パリの国際学生スポーツ大会に出場し、後のユニバーシアード参加にも道を開いています。1922190318821928
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