入学案内(日本語)
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3ケンブリッジ対オックスフォードのボートレース、ハーバード対イエールのフットボールとともに、世界三大学生競技と称される早慶戦。1903(明治36)年にまで■る伝統、母校の名誉のために闘う両校ナインと応援の華やかさが、その魅力です。アムステルダム・オリンピックで、早稲田大学競走部の織田幹雄が、三段跳びで日本人初の金メダルを獲得しました。同競走部はオリンピックの帰りに、パリの国際学生スポーツ大会に出場し、後のユニバーシアード参加にも道を開いています。物理学者 アインシュタイン氏来校1922(大正11)年11月29日、来日中のアインシュタイン博士が来校して、かつてベルリン大学で学んだ塩沢昌貞学長と会談。中央校庭での歓迎式典では、学生や教職員1万余名が熱烈な拍手で博士夫妻を迎え、最後は校歌を合唱して送りました。校友初の総理大臣 石橋内閣誕生1956(昭和31)年12月、早稲田出身の石橋湛山が自民党総裁に選出されました。同月の衆参両院の首班指名では、同じく早稲田出身で社会党委員長の鈴木茂三郎を破り、内閣総理大臣に就任。ここに早稲田出身者初の首相が誕生しました。石橋を含め、これまでに8名の首相を輩出しています。ロバート・ケネディ氏学生討論会へ出席1962(昭和37)年、安保闘争のさなか米国司法長官ロバート・ケネディ夫妻が大隈講堂の学生討論会に出席。反対派、賛成派が一体となった校歌の合唱に感動した夫妻は、再び来日した際には校歌をすっかり覚え学生とともに歌ったといいます。米国大統領ビル・クリントン氏来校1993(平成5)年、アメリカ合衆国大統領のビル・クリントン氏が来校。その後も、2008(平成20)年には中華人民共和国国家主席の胡錦濤氏、2010(平成22)年には国際連合事務総長の潘基文氏など、世界的な要人が数多く来校しています。Waseda Vision 150を策定2012(平成24)年、創立150周年(2032年)へ向けて、“Waseda Vision 150”を策定しました。早稲田大学は教育・研究の質を飛躍的に向上させ、世界へ貢献する大学であり続けます。マルカタ遺跡の発掘調査1966(昭和41)年、早稲田大学の調査隊は、日本人初の古代エジプト発掘調査に着手。1974(昭和49)年にはマルカタで、エジプト発掘史上初の「彩色階段」を発見するなど、調査隊はエジプト考古庁の信用と日本での高い評価を獲得しています。創立125周年 第二の建学へ「独創的な先端研究への挑戦」「全学の生涯学習機関化」「地球市民の育成」という3つの目標に向けて前進を続けてきた早稲田大学。2007(平成19)年10月21日の創立125周年記念式典では、白井克彦第15代総長が“早稲田大学第二世紀宣言”を行いました。野球早慶戦開始日本最初の金メダリスト外交官・杉原千畝による「命のビザ」1918(大正7)年に早稲田大学高等師範部英語科(現・教育学部)に入学した杉原千畝。1940(昭和15)年、リトアニア領事館で働く杉原が外務省の命令に反してビザを発給し、約6,000人のユダヤ人を救った人道的行為は国際的に高く評価されています。of WASEDA1903192219401956197420071928199320121962

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