入学案内 (日本語)
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佐賀・鍋島藩の武士の家に生まれ、後に長崎に出て英語や近代的な学問を学びました。明治政府においては参議・大蔵■を歴任し、近代財政を確立しました。貨幣としての「円」を誕生させ、前島密を起用し近代的な郵便事業を開始し、伊藤博文とともに鉄道を開業させ、太陽暦を導入するなど、文明開化政策も次々に推進させました。また後には、立憲改進党を組織し、1898年には日本初の政党内閣を成立させ、1914年にも第二次大隈内閣を組織しました。「一国独立の基礎は自主独立の精神にあふれた国民の形成にある」という信念を持っていた大隈重信には、教育に対する大きな情熱がありました。明治14年の政変で下野した翌年には、早稲田大学の前身となる東京専門学校を創設しました。当初は政府から謀反人の学校とみなされ、さまざまな圧力を加えられました。大隈が目指したのは、国家が必要とする人材を養成する“官学”に対して、在野的な自由主義精神に富む人材を育成することです。それが“学問の独立”をはじめとする理念となり、現在にも受け継がれています。早稲田大学の前身である東京専門学校は1882(明治15)年、大隈重信によって創設されました。以来、“官学に匹敵する高等教育機関の育成”という大隈重信の理想を現実のものとし、“私学の雄”としての道を着実に歩んできました。その歴史は“学問の独立”を中心とする「三大教旨」や「進取の精神」「在野精神」「東西文明の調和」といった理念により支えられています。こうした伝統を基盤に、2012年秋に策定された“Waseda Vision 150”のもと、「世界で輝くWASEDA」を目指して、前進を続けています。早稲田大学の創設者10大隈 重信(1838-1922)

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