学校案内2024-25_本文001060_230824_web閲覧用
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i hsotaSONAGANokomoTONNAB502012年度 建築都市設計科卒1986年生まれ、東京都出身。青山学院大学理工学部生命科学科卒業後、早稲田大学芸術学校建築都市設計科へ入学。卒業設計で稲門建築会賞受賞。卒業後、特別選考制度で早稲田大学大学院創造理工学研究科建築学専攻へ進学。現在は㈱松田平田設計に勤務。2006年度建築科卒立命館大学産業社会学部准教授。1981年生まれ。宮城県仙台市出身。芸術学校建築科卒業。2014 年10 月、博士(建築学)を早稲田大学にて取得。豪州、アデレード大学建築・都市スクール訪問研究員、福井大学研究員、三重大学講師を経て、現職。現在の専門は「ソーシャルデザイン・ソーシャルイノベーション」。フィールドワークを重視した研究教育を実践。東日本大震災の震災復興関連の活動で、グッドデザイン賞2017特別賞、2021年日本建築学会賞(業績:復興復旧特別賞)、令和4年度科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞、令和5年稲門建築会特別功労賞(業績)を受賞。ジェロントロジー(老年学)研究では、MIT AgeLabにてワークショップを実践。現代アートを活用した地域活性化の活動に関連し、大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2012/2015/2018/2021に作家(Doobu代表)として出展、最新作品「皓雪冽白〜漉き込む十日町の記憶〜」。 姉が建築関係の仕事をしている影響もあり、自然と建築に興味を抱くようになりました。偶然手にとった建築雑誌で芸術学校の存在を知り、学校見学に行きました。その時に感じた先生方の建築に対する情熱的な思いに惹かれ入学を決めました。大学では化学を専攻していたため異なる分野への挑戦となり不安もありました。しかし、今までの経験は決して無駄ではなく、他分野での経験や知識も多角的な視点で建築を考えることの助けとなっているように思います。芸術学校で特に印象に残って芸術学校は、様々な年齢層、異なる分野の学生が多く在籍する刺激的な場所でした。大学院に進学することを決めたのも、そんな環境が大きかったと思います。そして、早稲田大学大学院建築学専攻の博士課程に在籍しながら、学科の専任助手になった2011年です。東日本大震災が起こり、私の実家も被災しました。ボランティアで地元地域の泥掻き等をしつつ、建築学科の若手有志でタスクフォースを作り、北は岩手県から南は■城県まで沿岸地域を周りました。その中で、宮城県名取市閖上地区において、40年以上親しまれたコミュニティーの核ともいえる場いることは、二、三年時に行う設計課題です。スタジオで同級生と切磋琢磨しながら模型をつくり図面をかいた日々は今でも私の創作活動の原点となっています。芸術学校を卒業後は早稲田大学大学院の古谷研究室に所属し建築の意匠を学びました。このような環境で学べたのは、建築を一から教えていただき、建築の魅力に気づかせてくれた先生方のおかげであり、大変感謝しています。これからも芸術学校で学んだことを支えに、夢に向かって進みたいと思います。所、朝市を復興させるプロジェクトを支援する機会がありました。課題は山のようにあり、プロボノといわれる人たちにも沢山お会いし、助けて頂きました。今振り返ると、この経験が、建築一本で生きると決めていた私の心を大きく動かし、「建築系×ソーシャル系で生きる」という新しいフィールドを開拓するきっかけとなりました。その後、震災復興の支援活動も続けながら、5年かけて博士を取得。複数の大学職を経験し、現在、立命館大学において、ソーシャルイノベーションとソーシャルデザインを専門とし、教■をとっております。2012年度卒業設計稲門建築会賞受賞作品「Tokyo Metroporitan Stage」永野 聡NAGANO SatoshiOB/OGComment坂野 智子 BANNO Tomoko

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